サント・シャペル、コンシェルジュリーを観た後は、
同じシテ島にあるパリ屈指の観光地、ノートルダム大聖堂を観に行きました。
ノートルダム大聖堂をスタートして、フランス国立公文書館パリ館庭園へ。
パリの街歩き、建物が重厚、ゴシック建築にワクワク、ということもありますが、
少し歩くたびに見どころがあって、京都の街歩きみたいです。
さすが京都の姉妹都市!
シテ島がパリ発祥の地
6世紀からシテ宮殿が建ち、司法機関も集中していて、パリ随一のノートルダム大聖堂もあるシテ島は、パリ発祥の地だそうです。
写真下:コンシェルジュリーの向かい側にあるパリ商事裁判所
シャンジュ橋北詰から見た、シテ島のパリ商事裁判所(左)とコンシェルジュリー(右)。
パリ商事裁判所の裏は、パリ警視庁があります。
オテル・デュー《追記 2024.8.22》
パリの警視庁の隣に、オテル・デューがあります。
オテル・デュー(神の家、神の宿、の意)とは、中世に創設された施療院。
フランスはじめ、ヨーロッパ各地にあり、カトリック教会が運営していました。
司教区または大聖堂の近く、水路の近く (洗濯、ランドリー、製粉工場など)、さらには航行可能な川の近く (食料、薪などの輸送のため) を選んで建てられた。
引用元:オテル・デュー Wikipedia
ノートルダム大聖堂の横にあり、セーヌ川が直ぐ側を流れています、条件ピッタリ!
今は、パリ市民病院になっていますが、中世期には、巡礼者や孤児、貧困者を受け入れていたそうです。
パリに行く前は、セーヌ川の中洲の島、ぐらいのイメージしかなかったのですが、
かつてはここに権力が集中していて、役人や兵士、聖職者の往来も賑やかだったのでしょう。
ノートルダム大聖堂前のポワント・ゼロとは
ノートルダム大聖堂は2019年4月15日の火災で甚大な被害が出て、現在も修復中です。
中の見学はできないけれど、せめて外から観てみよう、とコンシェルジュリーの後に行ってみました。
中に入ると美しいステンドグラスを見ることができるのに…残念。
現在は、ノートルダム大聖堂前にひな壇ができていて、座ってのんびり眺められるようになっています。
下調べ不足で知らなかったんですが、ノートルダム大聖堂の前の広場に
「ポワン ゼロ デ ルート ド フランス」というゼロ地点の指標があります。
シテ島の大聖堂前はパリの中心で、
「パリから◯キロ」などと表示する際、ポワン ゼロ デ ルート ド フランスを起点として測定した距離だそうです。
ポワン・ゼロは、丸く組まれた石版の中央に太陽の形の金属が埋め込まれています。
このポワンゼロを踏むと、またパリに来ることができる、という言い伝えがあるそうです。
トレビの泉のコイン投げみたいですね…^^
踏みたかった…けどどこにあるのかわからず…大聖堂の正面から25mのところにあるそう。
ノートルダム大聖堂、裏側で修復工事中。
アルコル橋を通ってパリ市庁舎へ
パリ市庁舎前のセーヌ川沿いに古本屋アート、雑貨のお店が出ていました。
1871年、 市庁舎にパリ・コミューン支持者が火を付け、1375年に建てられたネオルネッサンス様式の建物は焼け落ちました。
1873年から1892年まで、19年かけて再建されたのが、今のパリ市庁舎です。
細部に至るまで建設当時を再現し、ドラクロワら、偉大な芸術家が装飾を担当したそうです。
パリ五輪2024直前でパリ五輪のイメージカラーに彩られていました。
お城のような重厚な建物です。
各ファサードを飾るパリの著名人たち。だれかしら??
パリの建築物は、いたるところに彫刻が施されていて、ため息モノです!
再建には、彫刻家230人に彫刻338体の制作が依頼されたとか。
フランスは、芸術には惜しみなくお金を使うイメージがあります。
ルイ14世の頃からの〜 ^^;
にしても、彫刻家230人に彫刻338体作らせるとか、発想が桁違い!
道すがらのサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会
パリ市庁舎すぐそばにあるサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会は1657年築。
イオニア式 、ドーリア式、 コリント式 、の列柱三層からなるめずらしいファサード。
なんと、163年もの歳月を費やして作られたそうです。
中にはパリ最古のオルガンもあるとか。
時間が押してるので、外観のみで…
この後、アルシーブ通りを通って北進、フランス国立公文書館へ。
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