ヨーロッパでは、広場はいろいろな意味を持っていました。
「広場」と聞いたら、遊び場、イベント会場、憩いの場をイメージしてしまうのですが、
中世ヨーロッパでは政治的・宗教的な儀式や行事が行われる場であり
市場や水くみ場(給水栓)など日々の生活になくてはならない場所でもありました。
6月のヨーロッパ旅行は、オランダ、ベルギー、パリ。
オランダ1日目 アムステルダム国立美術館
オランダ2日目 ハーグ エッシャー美術館、マウリッツハイス美術館 デルフト
オランダ3日目 世界遺産・キンデルダイク風車群、アントワープ(ベルギー)
ベルギー1日目 ゲントの鐘楼、グラスレイコーレンレイ
ベルギー2日目 世界遺産・ブルージュ ←今ココ
ベルギー3日目 世界遺産・グランプラス(ブリュッセル)
パリ1日目 不思議のメダイ教会 街歩き
パリ2日目 モンマルトル、オペラ・ガルニエ、シャンゼリゼ通り練り歩き
パリ3日目 ノートルダム大聖堂、エッフェル塔・トロカデロ広場
ブルク広場の建築物
ブルク広場にも、行政機関が集まっています。
ブルージュ市庁舎から反時計回りに、
公文書館
旧裁判所
知事公館
カフェ、レストラン等店舗
聖血大聖堂
⚠️順番まちがっていたので訂正しました(2025.8.17)
ブルージュ市庁舎と公文書館
魚市場(フィスマルクト)方面からブリンデエーデル橋を渡って、公文書館のわたり廊下をくぐると、ブルク広場に出ます。
写真下は、向かって左の白い建物が公文書館、右が市庁舎です。
ベルギーの中で最も古い市庁舎と言われているブルッヘ(ブルージュ)の市庁舎は1421年に完成。
1376年、フランドル伯ルイ2世が発注してから完成まで45年もの歳月を要して建てられました
フランドル地方とブラバント地方で初のフランボワイヤン・ゴシック様式の市庁舎です。
壮麗な装飾のファサードが素晴らしい✨️
内部の美しいゴシック装飾が見学できるのだそうです、計画に入れてなかった〜orz
1792年当時、ブルージュはオーストリア領ネーデルラントに属していたものの、フランス革命の影響がここまで及び、フランス革命軍はハンザ商人の富の象徴を敵対視。
ファサードにあった聖書や歴史上の人物の彫像48体全て破壊してしまったとか😥
仕方ない事とは言え、歴史の中で、革命や政変、戦争の度に芸術品や歴史的価値あるものが破壊されるのはとても悲しいです。
今、新たに設置された彫像がファサードからブルク広場を見下ろしています。
知事公邸
ブルージュの「プロヴォスト」は、聖サルヴァトール教会に付属する司祭館。
「聖サルヴァトール教会プロヴォスト」
プロヴォストのもともとの意味はキリスト教会における、主席司祭など高位責任者のことです。
18 世紀の後半まで、ブルージュ司教の住居として使われていました。
1806 ~ 1808年、当時の知事の要請により、既存の建物が後期古典主義様式で改築され、1830 年、知事公邸として使用開始。
装飾が美しい建物です。
旧裁判所
現在は行政センターとして利用されている旧裁判所。
自由都市ブルージュの評議員室と会議室があったところに1727年に建てられ、1984年まで実際に使われていたそうです。
聖血大聖堂
ブルク広場の市庁舎の西の端に隣接して建っているのが聖血大聖堂です。
45年のときを経て1421年にようやく完成した市庁舎に食い込むように建っています。
大聖堂、という名前から、ノートルダム大聖堂やセントポール大聖堂など、大きな聖堂を思い浮かべますが、とっても小さい大聖堂です。
大聖堂なのに小さい!と思った方もいらっしゃるのでは?
カトリック教会では、教皇によって特別な地位を与えられた聖堂をバシリカ=大聖堂と呼んでいます。
この聖血大聖堂は聖遺物(キリストの血)を収めているのでバシリカなのです。
礼拝堂の持ち主のフランドル伯、ティエリー・ダルザスが十字軍に参加し、東方からイエス・キリストの血(聖遺物)を持ち帰り、ここで保存しています。
キリストの血はガラス管に入れて保管されていて、拝観できるということで世界中から、参拝者が訪問しています。
聖遺物開帳は寄付金を入れてから観ることになります
14:00〜16:00
(金曜日 10:15〜11:00)
聖血って、液体??と思ってたら、
キリストの血を拭き取った、血の付いた「布」が聖遺物で、筒状のガラスの香水瓶に収められています。
二層の礼拝堂
下層礼拝堂と上層礼拝堂があり、下層礼拝堂は公開されていません。
1階は、ロマネスク様式で、聖バシリウスに献納された納骨堂、2階は、15世紀末から16世紀にゴシック様式に改築された礼拝堂となっています。
1134年から1149年にかけて作られた下層礼拝堂はロマネスク様式の建築で、聖バシリウスに献納された納骨堂。
2階は、15世紀末〜16世紀にゴシック様式で改築された礼拝堂です。
上部礼拝堂へ続く階段は1529年から1533年にかけて後期ゴシック・ルネサンス様式で建設されました。
歴史を物語る天井。
1905年に制作された主祭壇の後ろの極彩色の壁画は、エルサレムからブルージュへ聖遺物の運搬の様子が描かれているそうです。
下の写真の 壁は、ゲントのゲント・シント・ピーテルス駅(1903年)や、ゲントの旧郵便局の中の壁の雰囲気に似てます。
この地方特有の画法なのかも。
12世紀に十字軍に参加したフランドル伯が持ち帰った「聖血の遺物」が祭壇に納められたことで、当時権力絶大だった教会の庇護もあったかも。
フランドル伯領の繁栄は、ここから始まったと言えるのでしょう。
この後、もう一つの広場、マルクト広場とブルッヘの鐘楼に続きます
to be continued
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